アル=ファウ考古地域の文化的景観
Qaryat al-Faw
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成り立ち
カルヤト・アル=ファウは、首都リヤドの南西約700km、ルブアルハリ砂漠の北西の縁にあり、アラビア半島の南と北東を結ぶ交易路の要所だった。17を超える井戸をもち、キンダ王国の首都となった。都市は紀元前3世紀から紀元3世紀に栄えた。
町は区画ごとに計画され、王宮、神殿、住宅地、市場、墓地が見つかっている。太陽神シャムスの神殿には宴の場面などを描いた壁画があり、ローマ帝国、とくにエジプトの工房の画風に近い。ナマーラ碑文は、イムルウ・アル=カイスがナジュラーンへ遠征してカルヤト・アル=ファウに達し、支配していたマズヒジ族を追い出したと記す。町はやがて突然放棄された。
1940年代にサウジ・アラムコの社員が遺跡にふれ、1952年に3人の社員が訪れて記録した。1970年代からはキング・サウード大学が発掘を続け、住宅と市場の区域と、神殿と墓の区域を明らかにした。旧石器時代から先イスラーム期までの約12,000の遺構が見つかっており、2024年7月27日に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。