北京中軸線
Central Axis of Beijing
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時間の物差し
前3000年起点 1272年現在
成り立ち
北京中軸線は、旧北京の中心を南北に貫く7.8kmの線で、北の鐘楼・鼓楼から南の永定門まで、旧宮殿と庭園、祭祀の建物、儀礼と公共の建物が並ぶ。UNESCOによれば、その配置は古代の技術書『考工記』が定めた理想の都の姿を示している。
中軸線の起源は元の大都にある。1264年、クビライは太液池の瓊華島にある宮殿を訪れてこの地を気に入り、そこを中心に都を造るよう命じた。都の計画と工事の監督にあたったのは劉秉忠で、1271年に元が建国された翌年、クビライはこの都を首都と定めて大都と名づけた。工事がすべて終わったのは1293年である。
その後、明(1368〜1644年)と清(1636〜1912年)の時代にも建物が加えられ、改められた。外城の正門である永定門は1553年に建てられ、1950年代に道路整備のため取り壊されたが、2005年に元の位置に再建された。中軸線は2024年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。