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グディニァのモダニズム都市中心部
写真: Joymaster / Public domain / Wikimedia Commons · トリミングあり

グディニァのモダニズム都市中心部

Gdynia Modernist City Centre
WHC 17152026年登録54.52°N 18.54°EWikipedia 12言語

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時間の物差し
前3000年起点 1926年現在

成り立ち

グディニァは長くカシューブ人の小さな漁村で、その名は1253年の記録に初めて現れる。第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって1920年にポーランドへ戻ったが、すぐ近くのグダンスクは国際連盟の下の自由都市とされた。ポーランド政府は1920年の冬にこの村に大きな港を築くと決め、1921年に工事が始まった。

1922年9月23日に議会が港の建設法を可決すると工事は速まり、1923年4月23日に仮の軍港と漁港として開かれた。町は港より遅れてつくられ、1926年2月10日に市の地位を得た。同じ1926年、アダム・クンツェヴィチとロマン・フェリンスキが中心部の都市計画を描き、10 Lutego(2月10日)通りからコシチュシュコ広場、南桟橋へと続く軸で町を海に結びつけた。

1938年、グディニァはバルト海で最大かつ最も近代的な港となり、1939年には人口が12万を超えた。1929年から1939年に建てられた建物の多くは戦争を生き延び、当時のポーランドでは珍しく中心部はほぼ無傷で残った。歴史主義と決別したモダニズムの街並みは、市制100年にあたる2026年7月に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。