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ローマ帝国の国境線 - ダキア
写真: 「Castra of Cigmau - 26」Saturnian / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ローマ帝国の国境線 - ダキア

Limes Dacicus
WHC 17182024年登録47.18°N 23.16°EWikipedia 8言語

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時間の物差し
前3000年起点 106年現在

成り立ち

ダキアはトラヤヌス帝のダキア戦争を経て、106年にローマの属州となった。ドナウ川より北に全域があった唯一の属州である。初代総督デキムス・テレンティウス・スカウリアヌスのもとで統治は素早く整えられ、112年から114年にかけて「DACIA AVGVST PROVINCIA」と刻んだ貨幣が造られた。

ライン川やドナウ川の岸に兵を並べるほかの属州と違い、ダキアの山と川はどちらのやり方にも向かず、山や峠、川をまたぐ砦の線ができるまでに約10年かかった。国境は見張り塔、土塁、その数km後ろの砦、さらに後方の軍団基地からなり、守るためというより人や物の行き来を見張る仕組みだった。西のポロリッスムは東のアンガスティアと並ぶ防衛の要で、国境は金と塩の資源への道も押さえていた。

119年、ハドリアヌス帝は南東の一部をロクソラニ族の王に与えた。ユネスコはこの国境が106年から271年まで機能したとしている。2024年、277の構成資産からなるダキアの国境線は世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。