ゲディ遺跡
Ruins of Gedi
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時間の物差し
前3000年起点 1300年現在
成り立ち
ゲディは、ケニアの海岸から少し内陸の森の中に残る、捨てられたスワヒリの都市である。インド洋を渡ってアフリカ沿岸とペルシアなどを結ぶ交易網の一部として栄え、サンゴ石とサンゴや土のモルタル、木材で建てたモスク、宮殿、家々、柱状墓、そして水を扱う仕組みが残る。放射性炭素年代で1041〜1278年とされた墓標が、人が住んだ最も古い証拠である。
町は15世紀に外壁で約45エーカーを囲み、人口は最盛期に推定2,500人に達した。15〜16世紀に繁栄の頂点を迎えたのち衰え、17世紀半ばまでに捨てられた。ポルトガルの進出、地下水位の低下、1589年のジンバの襲撃などが理由として挙げられている。
遺跡は1927年に史跡となり、壁の装飾にはめ込まれた中国磁器を盗む者が現れたため、1929年に保護記念物とされた。1948年に周辺の森とともに国立公園となり、1948〜1958年にジェームズ・カークマンが発掘して、1954年に大モスク、1963年に宮殿を掘り出した。2024年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。