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西夏王陵
写真: 「XiXia Tomb 3 F」BabelStone / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

西夏王陵

Western Xia Mausoleums
WHC 17362025年登録38.44°N 105.99°EWikipedia 26言語

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時間の物差し
前3000年起点 1038年現在

成り立ち

西夏王陵は、中国寧夏回族自治区の賀蘭山東麓、西夏の都興慶(現在の銀川)の西約40kmにある皇帝陵群である。UNESCOによれば、9基の帝陵、271基の陪葬墓、北部の建築群、32の治水施設からなる。

西夏は1038年にタングートが建てた王朝で、1227年にチンギス・カンのモンゴル軍に滅ぼされた。帝陵は南から北へ順に造られ、最も大きい1号陵と2号陵は初代皇帝李元昊の祖父と父の墓、3号陵は李元昊自身の墓とされる。版築の墳丘は直径30m、高さ23mに達し、もとはれんがや瓦で覆われた建物の芯だったと考えられている。

1970年代初めに発掘された6号陵の地下室はすでに盗掘されていたが、1977年の101号墓の発掘では長さ1.2m、重さ188kgの金銅の牛が見つかった。最後の3人の皇帝の陵はなく、王朝が陵を造る前に滅びたためとみられる。2019年に博物館を保護区域の外へ移し、2025年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。