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カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで
写真: 「Buddhist Stupa at Choeung Ek killing fields, Cambodia」Timgray200 / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで

Cambodian Memorial Sites: From centres of repression to places of peace and reflection
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時間の物差し
前3000年起点 1971年現在

成り立ち

クメール・ルージュは1971年から1979年まで、拘束と尋問と処刑のための治安組織をカンボジア全土に広げた。この組織は人々の暮らしのほぼすべてに及び、10年ほどの間に人口の約4分の1が死亡した。構成資産は、その段階を示す3か所である。

M-13は内戦期の最初の段階の収容所で、のちの仕組みの原型となった。プノンペンのトゥール・スヴァイ・プレイ高校は1976年に改造されて保安刑務所S-21となり、1979年までに推定2万人が収容された。生き延びたことが知られるのは12人だけである。所長カン・ケク・イウは2010年、カンボジア特別法廷で人道に対する罪により有罪とされた。

S-21の囚人の多くは、市の中心から南へ約17kmのチュンエクに運ばれて処刑された。1979年に政権が倒れた後、S-21はトゥール・スレン虐殺博物館となり、その記録は世界の記憶に登録された。チュンエクでは集団墓地から遺骨が掘り出され、1989年に建てられた仏塔に5000を超える頭骨が納められている。3か所は2025年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。