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ラングドックのカペー王朝の要塞群
写真: 「130610-Queribus-03」BlueBreezeWiki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ラングドックのカペー王朝の要塞群

Royal Capetian Fortresses of Languedoc
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時間の物差し
前3000年起点 1209年現在

成り立ち

1209年8月、教皇特使アルノー・アモーリーの率いる十字軍が、カタリ派の拠点だったカルカソンヌを包囲した。子爵レーモン=ロジェ・トランカヴェルは降伏の交渉中に捕らえられ、3か月後に獄中で死んだ。アルビジョワ十字軍の後、町は1247年にフランス王国に服した。

13-14世紀、カペー朝の王たちは旧カルカソンヌ・セネシャル管区に22の要塞からなる防衛網を築いた。要塞はセネシャルの本拠カルカソンヌを守り、新しく併合した土地を押さえ、アラゴン王国との国境を見張った。平野のイル=ド=フランスで生まれた築城の型を、黒山地とピレネー山麓の険しい岩山に合わせたものである。

1659年のピレネー条約でルシヨンがフランス領となり国境が南へ移ると、山の要塞は意味を失い、羊飼いや盗賊の隠れ家になった。カルカソンヌの城壁は1853年から1879年にヴィオレ=ル=デュクが修復した。2026年、カルカソンヌと、アギラール、ラストゥール、モンセギュール、ペイルペルテューズ、ピュイローラン、ケリビュス、テルムの8か所が世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。