18世紀から19世紀にかけて中部イタリアで流行した、イタリア式コンドミニオ劇場のシステム
The system of Italian-style condominio theatres of the 18th and 19th centuries in Central Italy
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成り立ち
18世紀半ばから、教皇領に属していたエミリア=ロマーニャ、マルケ、ウンブリアの小さな町や中規模の町に、新しい形の劇場が現れた。「コンドミニオ」は共同所有を意味し、自治体と裕福な市民が「劇場組合」をつくって費用を分け合い、ボックス席を持ち合った。出資者は設計にも加わり、規格化された何層ものボックス席、見通しのよい客席、別々の動線が生まれた。
イエージのペルゴレージ劇場は、その仕組みをよく示す。1790年に市へ建設を願い出て、市は2つのボックス席を持つことを条件に認め、1798年のカーニバルに開場した。4層100のボックス席はすべて裕福な予約者に売られ、建設者の子孫の劇場組合は1929年3月に市が買い取るまで劇場を支えた。アスコリ・ピチェーノのヴェンティーディオ・バッソ劇場は1840年に着工し、資金が尽きて止まったのち、技師と商人の出資で1846年に開場した。
劇場は町の中心に建ち、台頭する市民層が集まり世論を育てる場になった。2026年、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場、フェルモのアクイラ劇場、スポレートのジャン・カルロ・メノッティ新劇場などを含む10の劇場が世界遺産に登録された。推薦された18劇場のうち8つは除外された。
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