タシュケントのモダニズム建築 : 中央アジアの近代性と伝統
Tashkent Modernist Architecture. Modernity and Tradition in Central Asia
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時間の物差し
前3000年起点 1966年現在
成り立ち
タシュケントのモダニズム建築は、1960年代から1990年代初めにかけて建てられた10の建物と都市複合体からなり、うち9つはウズベキスタンの首都タシュケントの、再建された中心部の新しい都市軸に沿って建つ。タシュケントは1930年にウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都となり、緑地と近代的な住宅を重んじる総合計画のもとで、地震と暑さに備えた建物が造られていった。
1966年4月26日の早朝、市の中心の真下、深さ3〜8kmで地震が起きた。市の8割以上が壊れ、20万〜30万人が家を失った。近代化は地震の前から始まっていたが、この災害で再建は一気に大規模になり、ソ連各地から労働者が集まって、1970年までに10万戸の住宅が建てられた。
モスクワとタシュケントの設計研究所の建築家たちは、新しい建物に中央アジアの伝統的な建築の要素を取り入れた。構成資産には地下鉄のコスモナフトラル駅、チョルスー市場、民族友好宮殿、国立歴史博物館などが含まれる。2026年7月、韓国の釜山で開かれた第48回世界遺産委員会で登録が決まった。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。