シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園
National History Park
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時間の物差し
前3000年起点 1804年現在
成り立ち
1804年1月1日、奴隷とされた黒人たちの14年にわたる闘いの末、ジャン=ジャック・デサリーヌはハイチの独立を宣言した。若い国を守るため、デサリーヌは将軍アンリ・クリストフにラフェリエール山頂の要塞の建設を命じた。要塞シタデルは1805年に計画され、最大で2万人が工事に就き、その1割が命を落としたと考えられている。
1806年にデサリーヌが死ぬと、クリストフは1811年に北部の王アンリ1世を名乗った。シタデルには王と家族が籠もるための居室があり、5,000人の守備兵が1年暮らせる水と食料を蓄えられた。ヨーロッパの軍が島に残した武器を集めて、365門の大砲が据えられた。王はふもとのミロ村にサン=スーシ宮殿を建て、1813年に落成させた。
1820年に王が死ぬと、遺体はシタデルの中庭に葬られ、宮殿は略奪された。宮殿は1842年の地震で大きく壊れ、二度と建て直されなかった。1978年の大統領令で25km²の国立歴史公園が設けられ、1982年に世界遺産に登録された。これらは自由を勝ち取った黒人が最初に築いた建造物とされる。
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