写真: 「Archaeological Site of Cyrene-109025」Giovanni Boccardi / CC BY-SA 3.0 igo / Wikimedia Commons · トリミングあり
キュレネ
Cyrene
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時間の物差し
前3000年起点 前631年現在
成り立ち
ヘロドトスの『歴史』と前4世紀の碑文が伝えるところでは、エーゲ海のテラ島(現サントリーニ島)の人々がデルフォイの神託に促され、前631年にバットス1世の率いるもとでキュレネを築いた。遺跡の土器も前7世紀半ばにギリシア人の定住が始まったことを裏づける。バットス家の王たちは馬と薬草シルフィオンの輸出で富み、シルフィオンは多くの硬貨に刻まれた。
キュレネはプトレマイオス朝の支配を経て、前96年にローマのものとなった。115年のユダヤ人反乱で建物の大半が壊され、262年と365年7月21日の地震でも大きな被害を受けた。643年にアラブ軍に征服され、その後住む人がいなくなった。
1821〜22年にビーチー兄弟が最初の遺跡平面図をつくった。1913年にはイタリア兵が「キュレネのヴィーナス」を見つけ、これを機にイタリアが大規模な発掘を進めた。像はローマへ運ばれ、2008年にリビアへ返還された。1982年に世界遺産に登録され、2017年に危機遺産となった。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。