写真: david adamec / Public domain / Wikimedia Commons · トリミングあり
ジャームのミナレットと考古遺跡群
Minaret and Archaeological Remains of Jam
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成り立ち
12世紀から13世紀にかけて、ゴール朝はいまのアフガニスタンに加え、イラン東部、中央アジア、インド北部の一部までを支配した。ジャームのミナレットは、ヘラートの東約215km、標高約1900mのハリー・ルード川沿いの谷に、12世紀にスルタンのギヤースッディーン・ムハンマドが建てた焼成れんがの塔である。
塔は幅9mの八角形の基部の上に立ち、表面は幾何学文様の浮き彫りと銘文の帯で覆われ、トルコ石色のタイルも使われている。銘文にはマルヤム(マリア)章をはじめとするコーランの章句が刻まれる。遺跡はゴール朝の夏の都フィールーズクーフの跡と考えられており、年代記作者ジューズジャーニーは、この都が1222年にモンゴル軍に破壊されたと書いている。ミナレットは、1202年に建設が始まったデリーのクトゥブ・ミナールに影響を与えたとされる。
塔はアフガニスタンの外ではほとんど知られず、世界の注目を集めたのは1957年のことだった。2002年、アフガニスタンで最初の世界遺産として登録されると同時に、危機遺産リストにも加えられた。2つの川に近い塔は浸食と洪水にさらされ、周りの遺跡は盗掘の被害を受けてきた。2022年1月の地震では、塔かられんがが落ちた。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。