ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場
Place Stanislas, Place de la Carrière and Place d'Alliance in Nancy
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時間の物差し
前3000年起点 1752年現在
成り立ち
1737年、ポーランド継承戦争の後、ロレーヌ公国はポーランドの元国王スタニスワフ・レシチニスキに与えられた。彼はフランス王ルイ15世の義父である。ナンシーの中世の旧市街と、17世紀にシャルル3世が築いた新市街をつなぐため、新しい広場を計画した。
広場は1752年3月に着工した。建築家エマニュエル・エレが市庁舎と公国の政庁を向かい合わせ、その間をスタニスラス広場、凱旋門、並木のカリエール広場でつないだ。中央にはルイ15世の銅像が立ったが、革命で取り除かれ、広場は人民広場、のちにナポレオン広場と呼ばれた。
1831年にスタニスワフの銅像が置かれ、それからスタニスラス広場と呼ばれている。1958年から1983年までは駐車場として使われた。1983年に世界遺産に登録され、2004年から2005年に18世紀の図面をもとに修復された。
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