StoodmarkEN
リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
写真: 「Jerónimos April 2009-4」Alvesgaspar / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
WHC 263bis1983年登録38.69°N 9.22°WWikipedia 57言語

Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。

時間の物差し
前3000年起点 1496年現在

成り立ち

リスボン西部ベレンのレステロの浜は、テージョ川の河口に入る船が風を避けて錨を下ろせる場所で、キリスト騎士団の修道士が船乗りを助ける聖堂があった。マヌエル1世は1496年、ここに修道院を建てる許可を教皇庁に求めた。1497年、ヴァスコ・ダ・ガマと部下たちはインドへ出航する前夜を古い聖堂で祈って過ごした。修道院の建設は16世紀初めに始まり、費用にはアフリカと東方との交易にかけた5%の税が充てられた。

マヌエル1世は修道院をヒエロニムス会に与え、修道士たちは王のために祈り、航海に出る船乗りの心を支えた。建築家ディオゴ・デ・ボイタカは、のちにマヌエル様式と呼ばれる、海にまつわる意匠を豊かに刻んだ様式で建物を設計した。工事は1521年の王の死で止まり、1580年にスペインとポルトガルが同君連合になると、資金がエル・エスコリアルの建設に回されて再び中断した。修道院は1833年12月28日に廃止され、1880年にはヴァスコ・ダ・ガマと詩人ルイス・デ・カモンイスの遺骸が教会の新しい墓に移された。

河口の守りを固めるため、マヌエル1世は川の北岸に砦を築かせた。軍事建築家フランシスコ・デ・アルーダが設計した塔は、岸近くの岩の小島の上に建てられて1519年に完成し、リスボンの守護聖人にちなんでサン・ヴィセンテ城と名づけられた。1580年、守備隊はアルバ公の率いるスペイン軍に数時間の戦いで降伏し、塔の地下牢は1830年まで牢獄として使われた。修道院と塔は1983年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。