バターリャ修道院
Batalha Monastery
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1385年現在
成り立ち
1385年、ポルトガル王ジョアン1世はアルジュバロータの戦いでカスティーリャ軍を破り、王国の独立を守った。バターリャ修道院は、この勝利の前に立てた誓いを果たすために建てられたドミニコ会の修道院である。付属教会は1416年に完成し、王の回廊、参事会室、創設者礼拝堂の大半はジョアン1世の治世(1385-1433年)のうちに建てられた。
最初の回廊、教会、創設者礼拝堂はポルトガル人建築家アフォンソ・ドミンゲスが設計した。正方形の中に八角形を組み込んだ創設者礼拝堂には、ジョアン1世と王妃フィリパ・オブ・ランカスター、そして航海王子エンリケら王子たちの墓が並ぶ。屋根のないまま残る「未完の礼拝堂」は、マヌエル1世(在位1495-1521年)の名を取ったマヌエル様式の代表例とされる。
修道院は1755年の大地震で損傷し、1810年にはフランス軍に略奪された。1834年に修道会が廃止されて世俗の管理下に移り、1840年に国の記念建造物とされて少しずつ修復が進んだ。参事会室では1921年4月9日から無名戦士の墓を守る儀仗兵が立ち続けている。1983年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。