ザンクト・ガレン修道院
Abbey of Saint Gall
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時間の物差し
前3000年起点 612年現在
成り立ち
伝承では612年ごろ、聖コルンバヌスの弟子でアイルランドの修道士ガルスが、この地に庵を結んだ。8世紀、地元アレマン人の司祭オトマールが初代院長として修道院を開き、ピピンからベネディクトの戒律を授けられた。
院長ゴツベルトの時代の820年から830年ごろ、修道院の理想の配置を描いた図面が院長に献じられた。5枚の羊皮紙を縫い合わせた113×78cmの図に40の建物の平面が描かれ、実際には建てられなかったが、羊皮紙に描かれた建築図面として最も古いものとして図書館に残る。924年から933年にマジャール人の侵入が迫ったときは、本をライヒェナウ島に移して守った。926年に亡くなったヴィボラーダは、1047年に教皇庁が列聖した最初の女性である。
1755年から1768年にかけて、修道院はバロック様式に建て直され、聖堂はペーター・トゥンプが設計した。修道院はのちに廃止され、その教会は司教座聖堂になった。図書館は16万冊を超える本を持ち、そのうち手書きの本は2100冊、1000年を超えるものが約400冊ある。1983年に世界遺産に登録された。
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