ヴィースの巡礼教会
Wieskirche
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時間の物差し
前3000年起点 1730年現在
成り立ち
1730年、バイエルンのシュタインガーデン修道院で、マグヌス・シュトラウプ神父とルーカス・シュヴァイガー修道士が、鞭打たれるキリストの木像を作った。像は1732年から1734年まで聖金曜日の行列で担がれた後、1738年にヴィースの農家の手に渡った。同じ年の6月14日、農婦マリア・ローリーが像の目に滴を見つけ、涙だと考えた。
祈りがかなったという話が広まって巡礼者が集まり、小さな礼拝堂では足りなくなった。シュタインガーデン修道院長マリヌス2世マイヤーは新しい聖堂を、ドミニクス・ツィンマーマンと兄の画家ヨハン・バプティストに任せた。1746年に礎石が置かれ、1749年に内陣が、1754年に聖堂全体が献堂された。当初3万9000グルデンと見積もられた建設費は18万グルデンに膨らみ、修道院はこの負担から立ち直れなかった。
楕円形の平面と、空が開けているように見せる天井画をもつ聖堂は、バイエルン・ロココの代表作とされる。ドミニクスは完成後ヴィースに住み、1766年にそこで亡くなった。1803年に修道院は解散したが、国の委員会は巡礼の継続を支持した。1983年に世界遺産に登録され、1985年から1991年にかけて1060万マルクをかけて修復された。
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