ハトラ
Hatra
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成り立ち
イラク北部のハトラは、前1世紀の小さな村から2世紀半ばには大きな王国へと育った。パルティア帝国の西の端にあった、おそらく最初のアラブ人の王国の都で、のちの王は「アラブの王」を名乗った。パルティア時代の都市として最もよく残るものとされる。
町は円形で、周囲約9kmの土塁と、直径約2kmの石の城壁に囲まれ、壁には171の塔が並んだ。城壁は116年にトラヤヌス帝、198年にセプティミウス・セウェルス帝のローマ軍の包囲を退けた。中央の聖域には7つの神殿があり、太陽神シャマシュの神殿はアラム語の碑文で「神の家」と呼ばれた。
241年、サーサーン朝のシャープール1世が町を奪って破壊した。1985年に世界遺産に登録されたが、2014年にISILがこの地域を占領し、2015年3月には遺跡の破壊が伝えられ、同年7月に危機遺産となった。2017年4月に町は奪還された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。