クラクフ旧市街
Kraków Old Town
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1257年現在
成り立ち
クラクフはポーランド南部、ヴィスワ川のほとりの都市である。ヴァヴェルの丘には8世紀ごろから城塞集落があり、1038年にはポーランド君主の居所となった。1241年にモンゴル軍に破壊されたのち、1257年に都市の特許を得て、商人の町として造り直された。中央市場広場はヨーロッパ最大の市場広場とされる。
1335年、カジミェシュ3世は南の郊外に自分の名を冠した新しい町カジミェシュを開き、1364年には大学を創設した。いまのヤギェウォ大学である。1495年、ヤン1世オルブラフトはユダヤ人に旧市街からの退去を命じ、彼らはカジミェシュに移り住んだ。こうしてこの町はカトリックとユダヤの二つの信仰が並ぶ町になった。
クラクフは1596年にジグムント3世が宮廷をワルシャワへ移すまで、ポーランドの首都だった。ヴァヴェルの城と大聖堂は王権と司教権の象徴で、大聖堂には歴代の王が葬られた。第二次世界大戦ではナチス・ドイツの総督府の首都とされたが、建物の多くは戦禍を免れた。1978年に世界遺産に登録され、旧市街、ヴァヴェル、ストラドム、カジミェシュの約150haを含む。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。