リバティ島
Liberty Island
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時間の物差し
前3000年起点 1871年現在
成り立ち
1871年6月、フランスの彫刻家フレデリク・オーギュスト・バルトルディは大西洋を渡り、ニューヨーク港のベドローズ島を像の場所に選んだ。港に入る船は必ずこの島の前を通り、島は連邦政府の所有だったからである。1875年9月、歴史家エドゥアール・ド・ラブレーは計画を公表して資金集めのためのフランス・アメリカ連合を立ち上げ、像の費用はフランスの人々が、台座はアメリカが負担することになった。
像の構造を担うはずだったヴィオレ=ル=デュクは1879年に病に倒れて亡くなり、翌年からギュスターヴ・エッフェルが鉄のトラス塔で銅板の外皮を支える仕組みを設計した。完成した像は1884年7月4日、パリでアメリカのレヴィ・P・モートンに引き渡された。像は解体されてフランスの汽船イゼール号で運ばれ、1885年6月17日にニューヨークに着いた。
アメリカ側の台座の資金集めは難航したが、ジョゼフ・ピューリツァーの新聞『ニューヨーク・ワールド』が寄付を呼びかけ、1885年8月11日までに12万人から10万2000ドルが集まった。リチャード・モリス・ハントが設計した台座は1886年4月に完成し、同年10月28日、クリーヴランド大統領の出席のもとで像の式典が開かれた。島は1956年にリバティ島と改名され、像は1984年に世界遺産に登録された。
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