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アントニ・ガウディの作品群
写真: Canaan / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

アントニ・ガウディの作品群

Works of Antoni Gaudí
WHC 320bis1984年登録41.36°N 2.03°EWikipedia 55言語

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時間の物差し
前3000年起点 1883年現在

成り立ち

アントニ・ガウディは1852年6月25日、カタルーニャのレウス(リウドムスとする説もある)に生まれ、1878年にバルセロナの建築学校を卒業した。最初の大きな仕事は、株式仲買人マヌエル・ビセンス・イ・モンタネールの依頼で1883〜1888年に建てたカサ・ビセンスである。同じ1883年、前年にフランシスコ・デ・パウラ・デル・ビリャールのネオ・ゴシック案で着工していたサグラダ・ファミリアを引き継ぎ、すでにできていた地下聖堂の一部を除いて設計をすべて改めた。

実業家エウゼビ・グエルが最大の後援者となった。ガウディはグエルのために、バルセロナのグエル邸、サンタ・コロマ・デ・セルベリョのコロニア・グエル教会の地下聖堂(1908〜1914年)、グエル公園(1900〜1914年)を手がけた。グエル公園はもともと富裕層向けに三角形の区画60を売る住宅地として計画されたが、建った家は2軒だけで、1926年に公園として一般に開かれた。このほかカサ・バトリョ(1904〜1906年)とカサ・ミラ(1906〜1912年)も手がけた。

1915年からはサグラダ・ファミリアだけに打ち込んだが、生前に完成したのは地下聖堂と後陣、生誕のファサードの一部だけだった。1926年6月7日、ガウディはグラン・ビアで路面電車にはねられ、3日後の6月10日に亡くなった。墓はサグラダ・ファミリアにある。1984年にグエル公園、グエル邸、カサ・ミラが世界遺産に登録され、2005年には生誕のファサードと地下聖堂、カサ・ビセンス、カサ・バトリョ、コロニア・グエル教会地下聖堂が加わった。

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