写真: 「Punic Town of Kerkuane and its Necropolis-130314」Christian Manhart / CC BY-SA 3.0 igo / Wikimedia Commons · トリミングあり
ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡
Punic Town of Kerkuane and its Necropolis
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
成り立ち
ケルクアンは、チュニジアのボン岬の先、海に面した崖の上にあったフェニキア・ポエニの町である。古代の名は記録に残っておらず、今の名は考古学者が付けた。最も古い痕跡は紀元前6世紀にさかのぼり、見えている遺構は紀元前4世紀末から前3世紀前半のものである。
住民はおそらく1200人を超えず、漁師や職人が多かった。多くのアクキガイの殻から、紫の染料をつくっていたと考えられる。町はあらかじめ決めた計画にそって、広くまっすぐな通りが碁盤の目をつくり、家々は同じ型で建てられた。色のついた漆喰の壁や、簡素なモザイクの床が今も見える。
町は第一次ポエニ戦争のさなか、紀元前250年ごろに捨てられ、その後ローマ人が町を建てることはなかった。そのため、ポエニの町の姿がほぼそのまま残る唯一の例となった。1952年に見つかり、1985年に墓地とともに世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。