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ポン・デュ・ガール
写真: ignis / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ポン・デュ・ガール

Pont du Gard
定番WHC 3441985年登録43.95°N 4.54°EWikipedia 59言語

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時間の物差し
前3000年起点 50年現在

成り立ち

ローマの植民市ネマウスス(今のニーム)に水を送るため、北のユゼス近くにあるウール泉から水道が引かれた。2つの地点の直線距離は約20kmだが、水路は険しい丘陵を避けて大きく迂回し、その途中でガルドン川を越えるのがポン・デュ・ガールである。建設は長くアウグストゥスの腹心アグリッパによる前19年ごろとされてきたが、新しい発掘からは40〜60年ごろとみられ、UNESCOも1世紀半ばとしている。

橋は3層のアーチからなり、高さは48.77mに達する。およそ5万400トンの石灰岩が使われ、重いものは1個6トンあり、大部分は約700m下流の石切り場から切り出されて、ほとんどモルタルを使わずに積まれた。4世紀以降は手入れが行き届かなくなって水路に沈殿物がたまり、6世紀ごろまでに使われなくなったとみられる。

橋が残ったのは、川を渡る有料の橋として使われ続けたからである。13世紀にフランス王はユゼスの領主に通行料を取る権利を与え、のちにはユゼス司教が修理を受け持った。1620年代にはロアン公アンリが大砲を通すため2層目のアーチの片側を厚みの3分の1ほど削り、1743〜1747年には技師アンリ・ピトーが下層に沿って道路橋を加えた。1850年に訪れたナポレオン3世の後押しで1855〜1858年に修復が行われ、1985年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。