歴史的城塞都市カルカソンヌ
Cité de Carcassonne
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成り立ち
南フランスのカルカソンヌの丘には、ローマ以前から砦があった。ローマ人は3世紀にこれを城壁の町とし、5世紀から6世紀には西ゴート人が壁を建て直した。1130年、トランカヴェル家のベルナール・アトン5世が城館を建て始め、町は初めて城壁で完全に囲まれた。
1209年8月、アルビジョワ十字軍が町を囲み、ライモン=ロジェ・トランカヴェルは15日に降伏した。1247年に町はフランス王国に組み込まれ、13世紀を中心に二重の城壁が築かれた。1659年のピレネー条約でルシヨンがフランス領になると、国境の砦としての役目を失った。
1849年に政府は城壁の取り壊しを決めたが、ジャン=ピエール・クロ=メイルヴィエイユとプロスペル・メリメの運動で撤回された。1853年からヴィオレ=ル=デュクが修復を率い、彼が1879年に亡くなるまで続いた。約3kmの二重の城壁をもつ町は、1997年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。