StoodmarkEN
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
写真: 「Basílica de Santiago 02」Vasco Roxo / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)

old town of Santiago de Compostela
WHC 3471985年登録42.88°N 8.54°WWikipedia 4言語

Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。

アプリで記録する

朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。

時間の物差し
前3000年起点 818年現在

成り立ち

サンティアゴ・デ・コンポステーラのあたりは、4世紀にはローマの墓地だった。アストゥリアス王アルフォンソ2世の治世、イリアの司教テオデミールが聖ヤコブ(サンティアゴ)のものとされる遺骸を見つけたと唱え、ユネスコの評価書によれば818年ごろにはその場に聖堂が建てられた。周りには巡礼の町が生まれ、865年には著述家ウスアルドゥスにも知られていた。

10世紀にはヴァイキングがたびたび町を襲い、968年には司教シセナンド2世が彼らとの戦いで死んだ。997年、アル=アンダルスのアル=マンスールが町を攻めて一部を壊したが、聖ヤコブの墓には手をつけなかった。町は11世紀に墓の周りに建て直され、12世紀には司教ディエゴ・ヘルミレスのもとで大司教座となった。

大聖堂の工事は12世紀を通じて続き、1188年に正面の栄光の門ができ、1211年に献堂された。1492年にはカトリック両王が巡礼者のための施療院を設け、18世紀には大聖堂の正面にオブラドイロのファサード(1738〜1750年)が加わった。ロマネスク、ゴシック、バロックの建物が並ぶ旧市街は1985年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。