サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
old town of Santiago de Compostela
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時間の物差し
前3000年起点 818年現在
成り立ち
サンティアゴ・デ・コンポステーラのあたりは、4世紀にはローマの墓地だった。アストゥリアス王アルフォンソ2世の治世、イリアの司教テオデミールが聖ヤコブ(サンティアゴ)のものとされる遺骸を見つけたと唱え、ユネスコの評価書によれば818年ごろにはその場に聖堂が建てられた。周りには巡礼の町が生まれ、865年には著述家ウスアルドゥスにも知られていた。
10世紀にはヴァイキングがたびたび町を襲い、968年には司教シセナンド2世が彼らとの戦いで死んだ。997年、アル=アンダルスのアル=マンスールが町を攻めて一部を壊したが、聖ヤコブの墓には手をつけなかった。町は11世紀に墓の周りに建て直され、12世紀には司教ディエゴ・ヘルミレスのもとで大司教座となった。
大聖堂の工事は12世紀を通じて続き、1188年に正面の栄光の門ができ、1211年に献堂された。1492年にはカトリック両王が巡礼者のための施療院を設け、18世紀には大聖堂の正面にオブラドイロのファサード(1738〜1750年)が加わった。ロマネスク、ゴシック、バロックの建物が並ぶ旧市街は1985年に世界遺産に登録された。
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