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チャコ文化
写真: National Park Service (United States) / Public domain / Wikimedia Commons · トリミングあり

チャコ文化

Chaco Culture World Heritage Site
WHC 3531987年登録36.06°N 107.97°WWikipedia 50言語

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時間の物差し
前3000年起点 850年現在

成り立ち

ニューメキシコのチャコ・キャニオンは850年ごろから先祖プエブロの人々の中心地となり、その社会は1020年ごろから1110年ごろに最も栄えた。10世紀に約50室の弧形の列として始まったプエブロ・ボニートは、のちに650室以上、一部は4階建ての建物となった。キャニオンの建物には約20万本の針葉樹が使われ、その多くは最大70マイル離れた山から人の足で運ばれた。

6つの道路網が約30の離れた集落とキャニオンを結んだ。道は長いもので60マイル、幅は最大30フィートあり、階段や斜路を備えるが、その目的ははっきりしない。1130年に50年続く干ばつが始まり、1140年ごろからチャコの仕組みは崩れ始めた。

1896年、アメリカ自然史博物館のハイド探検隊がプエブロ・ボニートの発掘を始め、6万点以上の遺物をニューヨークへ送った。探検隊で働いたリチャード・ウェザリルが1901年にプエブロ・ボニートを含む土地の所有を申し立てたことも一因となって1906年に古物法が制定され、1907年3月11日、セオドア・ルーズベルト大統領がチャコ・キャニオンを国定記念物とした。1980年12月19日に国立歴史公園となり、1923年に国定記念物となったアズテック遺跡などとあわせて1987年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。