写真: Raspail / Public domain / Wikimedia Commons · トリミングあり
チュニス旧市街
Medina of Tunis
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成り立ち
チュニスのメディナはザイトゥーナ・モスクを中心に育った。モスクの創建年は史料によって食い違うが、現在の全体の形は9世紀のアグラブ朝による建て直しで、工事は864〜865年に終わった。祈りの間の円柱の多くは古代の建物から運ばれた転用材である。
それまでの首都はマフディーヤやカイルアンだったが、ムワッヒド朝のもとでチュニスがイフリーキヤの首都となった。12〜16世紀のムワッヒド朝とハフス朝の時代、チュニスはイスラーム世界で最も大きく豊かな都市の一つとされた。1231〜1235年には支配者のためのカスバ・モスクが建ち、今のメディナの骨格はハフス朝の時代にできた。
17世紀にはムラード朝のハンムーダ・パシャが市場や宮殿を建て、1655年にはオスマン様式の八角形のミナレットをもつモスクを建てさせた。1865年にはムハンマド・サーディク・ベイが崩れかけた城壁と門の一部を取り壊し始めた。宮殿、モスク、霊廟、マドラサ、泉など約700の記念建造物が残り、メディナは1979年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。