ハットゥシャ:ヒッタイトの首都
Hattusha: the Hittite Capital
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時間の物差し
前3000年起点 前1700年現在
成り立ち
ハットゥシャはアンカラの東約150km、トルコのボアズカレにある。前3千年紀の終わりにハッティ人がここにハットゥシュという集落を築き、前19〜18世紀にはアッシリア商人が交易地区を置いた。前1700年ごろクッシャラの王アニッタが町を焼き、「ここに再び住む王は天の嵐の神に打たれよ」と呪いを刻んだ。
それでも前1650年ごろ、ラバルナ王がネシャから都をここへ移し、ハットゥシリと名乗った。前14世紀のシュッピルリウマ1世のころに巨大な城壁が築かれ、最盛期の町は1.8km2に広がった。町を囲む城壁は8kmを超え、上の町には100以上の塔と獅子門・王の門・スフィンクス門などがある。前13世紀にはエジプトのラムセス2世と平和条約を結んだ。
前1200年ごろ、ヒッタイト国家の崩壊とともに町は滅び、数十年かけて捨てられた。1906年に始まった発掘では宮殿や神殿、城壁、約2万枚の粘土板文書が見つかった。北東約2kmの岩の聖所ヤズルカヤとともに、1986年に世界遺産に登録された。
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