エル・ジェムの円形闘技場
Roman amphitheatre of El Jem
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時間の物差し
前3000年起点 238年現在
成り立ち
エル・ジェムはチュニジア中部の平原にある小さな町で、ローマ時代にはアフリカ属州のテュスドルスと呼ばれた。238年ごろ、この町にローマのコロッセウムを手本とした円形闘技場が建てられた。長径148m、短径122mで、約3万5000人が座れたとみられる。
多くの円形闘技場が丘の斜面を利用したのに対し、ここは平地に石のブロックを積み上げて独立して立つ。外壁にはコリント式などの柱をもつアーチが3層に重なる。同じ場所に建てられた闘技場としては3つ目である。
中世には砦となり、430年のヴァンダル人や647年のアラブ人の攻撃のとき住民が逃げ込んだ。1695年、ムラード朝のモハメド・ベイが、中に立てこもった弟アリ・ベイの支持者を攻めるため壁の一部を壊した。1850年ごろにはその穴が約30mに広げられた。1979年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。