カセレス旧市街
old town of Cáceres
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成り立ち
カセレスには、ローマの植民市ノルバ・カエサリナの跡がわずかに残り、東門のアルコ・デ・クリストには1世紀のローマの切石が使われている。ローマの市壁はのちにイスラム勢力によって大きく作り変えられた。この町を城塞都市カスリとしたイスラム側にとって、ここはキリスト教勢力に対する重要な拠点であり、12世紀の地理学者イドリーシーは最大の橋頭堡とみなした。
12世紀の戦いで町を何度も失っては取り返したムワッヒド朝は、市壁の外に塔を並べる新しい防壁を築いた。イスラム時代のおよそ30の塔のうち、最もよく知られるのがブハコの塔で、その名はアブー・ヤアクーブの音を写したものである。1229年、レオン王アルフォンソ9世が町を最終的に奪い返し、アストゥリアス、ガリシア、カスティーリャから入植者が集まった。
14世紀に入ると郷士(イダルゴ)たちが塔を備えた館を次々に建て、1312年からは対立する一族の権力争いの舞台となった。カトリック両王はその塔の多くを取り壊させたが、コウノトリの館など一部は残された。16世紀には、ピサロとともにペルー征服に加わったフランシスコ・デ・ゴドイが1548年に館を建てるなど、新大陸から戻った人々の邸宅が加わった。1986年に世界遺産に登録された。
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