セントキルダ島
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成り立ち
セントキルダはノース・ウイスト島の西北西65kmにあり、アウター・ヘブリディーズ諸島の最も西の島々である。ハータ島には青銅器時代から1930年まで、2000年以上にわたって人が暮らし、2015年に見つかった新石器時代の土器片はそれより古い居住を示した。セントキルダという名は1592年にルーカス・ワーヘナールが出した水路誌に初めて現れるが、キルダという聖人は知られていない。島はハリスのマクラウド家の領地で、その代官が現物で地代を集めており、1697年にマーティン・マーティンが訪れたときの人口は180人だった。
島民はおもに海鳥で暮らし、崖や岩柱でカツオドリやフルマカモメ、ニシツノメドリをとって、ハータ島に今も約1260棟が残るクレイトという石の小屋に食料や泥炭を蓄えた。男たちは毎朝通りに集まって「議会」を開き、その日の仕事を決めた。1852年には36人がプリシラ号でオーストラリアへ移住したが、うち18人は船上や検疫中に病死した。19世紀には蒸気船が観光客とともに病気を運び込み、1876年までの21年間に生まれた56人の赤ん坊のうち育ったのは15人だけで、死因の多くは新生児破傷風とされる。
第一次世界大戦後には若い男性の多くが島を去り、1930年には36人しか残っていなかった。島民は自ら島を出ることを決め、1930年8月29日、英国海軍のハーベル号で本土のモーヴァーンへ移った。翌年島を買った鳥類学者ダムフリーズ卿(のちのビュート侯)は島を鳥の保護区として守ってナショナル・トラスト・フォー・スコットランドに遺し、トラストが受け入れた1957年に国立自然保護区となった。1986年に世界遺産に登録され、2004年と2005年の拡大を経て、自然と文化の両面で登録された数少ない遺産の一つとなった。
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