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ネムルト山
写真: 「Mount Nemrut - East Terrace (4961323529)」Klearchos Kapoutsis from Santorini, Greece / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ネムルト山

Mount Nemrut
定番WHC 4481987年登録37.98°N 38.74°EWikipedia 61言語

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時間の物差し
前3000年起点 前69年現在

成り立ち

コンマゲネはアレクサンドロス大王の帝国が分裂したあと、シリアの北、ユーフラテス川の北側に生まれた王国である。前69〜前34年に在位したアンティオコス1世は、標高2150mのネムルト山の頂に、自らの墓所とされる塚と聖域を築いた。王はアケメネス朝とセレウコス朝の両方の血筋を誇示し、ギリシャとイランの伝統を一つにまとめようとした。

砕いた岩を積んだ塚の東と西のテラスには、王自身と神々の巨大な坐像が並び、両端をライオンとワシの像が守る。神々はヘラクレス=アルタグネス=アレス、ゼウス=オロマスデスのようにギリシャとイランの名を併せ持ち、石碑には王のギリシャとペルシアの祖先が浮き彫りにされた。星と惑星を配したライオンの浮き彫りは、建設が始まった時期を示すと考えられている。像の頭部は胴から外れ、今も地面に置かれている。

1881年、オスマン帝国のために交通路を調べていたドイツ人技師カール・ゼスターが遺跡を調査した。アメリカの考古学者テレサ・ゲルは1947年に初めて訪れ、1954年から発掘を重ねたが、王の墓室は見つかっていない。1987年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。