ヒエラポリス=パムッカレ
Hierapolis-Pamukkale
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
成り立ち
ヒエラポリスは、トルコ西部の高さ200m近い崖からわき出す温泉のそばに、ヘレニズム時代の温泉町として生まれた。紀元前133年、ペルガモン王アッタロス3世が王国をローマに遺贈すると、町はローマの属州アジアに入った。60年の地震で町は壊れたが、皇帝の援助で再建された。
ユネスコによれば、使徒フィリポは80年ごろここで殉教し、町の北西の城壁の外にはその殉教者記念堂が建てられた。330年以後は司教座となり、531年にはユスティニアヌス帝が府主教座に格上げした。町は14世紀末に放棄された。
温泉の水に含まれる炭酸カルシウムが白い石灰華の段々畑をつくり、これがパムッカレである。1887年にカール・フーマンが発掘し、1957年からはパオロ・ヴェルツォーネ率いるイタリアの調査団が調べている。石灰華の上に建てられたホテルはのちに撤去され、1988年に文化と自然の両方の基準で世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。