写真: 「Calle Crisologo, Vigan, Philippines (50025182191)」Ray in Manila / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
ビガン
Vigan
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時間の物差し
前3000年起点 1572年現在
成り立ち
ルソン島北西部、アブラ川の三角州にあるビガンは、スペインが来る前から交易の港だった。1572年5月20日、フアン・デ・サルセド率いるスペイン軍がマニラから北へ向かい、6月13日にビガンに着いた。サルセドはここに「ビリャ・フェルナンディナ・デ・ビガン」を開いた。
町はスペインの「インディアス法」に従った碁盤目の街路で造られ、サルセド広場とブルゴス広場を聖パウロ大聖堂、大司教館、市庁舎、州庁舎が囲む。中心のメスティソ地区には、中国系とイロカノ人の血を引く裕福な一族が住んだ。中国の商人は1階を店と倉庫に、2階を住まいにし、上の窓にはカピス貝の薄板をはめた。
今残る建物の多くは18世紀半ばから19世紀末のものである。1941年12月10日に日本軍が町に入り、1945年にアメリカ軍とフィリピン軍、イロカノ人のゲリラが町を取り戻した。戦後に町の経済は衰えた。1999年、25の通りに並ぶ233の歴史的建物を含む17.25haが、アジアで最もよく残るスペイン植民地時代の計画都市として世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。