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ウベダとバエサのルネサンス様式の記念碑的建造物群
写真: Zarateman / CC0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ウベダとバエサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

Renaissance Monumental Ensembles of Úbeda and Baeza
WHC 5222003年登録38.01°N 3.37°WWikipedia 6言語

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時間の物差し
前3000年起点 1227年現在

成り立ち

ウベダとバエサは、アンダルシア州ハエン県にある隣り合った2つの小さな町である。町の骨格は9世紀のイスラーム時代にさかのぼり、ウベダは後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世のもとで「アラブのウベダ」として築き直された。13世紀、カスティーリャ王フェルナンド3世が両方の町を手に入れ、バエサは1227年に取り戻された。

16世紀、両町の貴族は王国の中枢で地位を得た。ウベダ出身のフランシスコ・デ・ロス・コボスはカール5世の国務秘書に、甥のフアン・バスケス・デ・モリーナはフェリペ2世の秘書になった。建築家アンドレス・デ・バンデルビラは、ディエゴ・デ・シロエの案をもとにコボスの依頼で救世主礼拝堂を建て、隣のバスケス・デ・モリーナ宮殿とオルテガ首席司祭の宮殿も設計した。

バエサでもバンデルビラが大聖堂の仕上げに関わった。17世紀の危機で町の繁栄は終わったが、ウベダには48の記念物と100を超える建物が、ほとんどルネサンス様式のまま残る。この町づくりはイタリアの人文主義の考えをスペインに持ち込む流れの一部であり、のちにラテンアメリカの建築に大きな影響を与えた。2003年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。