サントドミンゴの植民都市
Colonial City of Santo Domingo
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時間の物差し
前3000年起点 1498年現在
成り立ち
1492年にコロンブスがイスパニョーラ島に着いた後、弟のバルトロメ・コロンがオサマ川の東岸に町をつくった。ユネスコはサントドミンゴの創設を1498年としている。1502年6月、大きなハリケーンが町を壊し、総督ニコラス・デ・オバンドは町を川の西岸に移して建て直した。
新しい町は格子状の街路で区切られ、この形は新大陸のほとんどの町づくりの手本となった。南北アメリカで最初の大聖堂、病院、税関、大学がここに置かれ、大学は1538年に設けられた。1510年にはコロンブスの息子ディエゴ・コロンの館アルカサル・デ・コロンが建ち、1952年に今の姿に修復された。
1586年にはフランシス・ドレークが町を占領して身代金を取った。1936年から1961年まで、町は独裁者ラファエル・トルヒーヨの名をとってシウダー・トルヒーヨと呼ばれ、彼の暗殺後にもとの名に戻った。植民都市は1990年に世界遺産に登録された。
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