キエフの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院
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成り立ち
ユネスコによれば、キーウの公国は11世紀、988年のウラジーミル1世の洗礼の後にキリスト教が広まった地域に築かれた。聖ソフィア大聖堂は11世紀前半、ヤロスラフ賢公のもとで地元の職人とビザンツの工匠が建て、コンスタンティノープルのアヤソフィアに並ぶことをめざした。創建年には1011年説や1037年説などがあり、定まっていない。11世紀のモザイクは約260平方メートル、フレスコは約3000平方メートルが残り、中央アプスの祈る聖母は高さ約6mある。
ペチェールシク大修道院は、リューベチ出身の修道士アントニーがドニプロ川を見下ろす丘の洞窟に住んだことに始まり、のちに院長フェオドーシーが生神女就寝大聖堂の建設に着手した。両地区の今の外観は、17〜18世紀のウクライナ・バロックの時代に形づくられた。聖ソフィアでは1690〜1707年の改修でドームが4つ加えられ、修道院では1731〜1745年に高さ96.5mの大鐘楼が建った。
生神女就寝大聖堂は1941年11月3日に爆破されてほぼ全壊し、18世紀末のバロック様式で再建されて2000年に再び開かれた。修道院は1926年、聖ソフィアは1934年に国の保護区となり、1990年に世界遺産に登録された。2023年には危機遺産リストに記載され、2026年6月14日には無人機による攻撃で修道院が大きな被害を受け、屋根の大部分が壊れ、主ドームが傷み、生神女就寝大聖堂の内部で火災が起きた。
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