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ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群
写真: Angel Miklashevsky / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群

Palaces and Parks of Potsdam and Berlin
WHC 5321990年登録52.40°N 13.03°EWikipedia 53言語

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時間の物差し
前3000年起点 1730年現在

成り立ち

プロイセン王フリードリヒ2世(大王)は、ポツダムの段々畑のぶどう園の上に夏の宮殿を建てさせた。1745年4月14日に礎石が置かれ、王自身のスケッチをもとにゲオルク・ヴェンツェスラウス・フォン・クノーベルスドルフが設計した。王はこれをフランス語で「憂いなし」を意味するサンスーシと名づけた。主要な部屋が10室だけの平屋の館で、王は宮廷の儀礼を逃れ、1786年に亡くなるまで毎夏ここで過ごした。

後の王たちも造営を続けた。フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は1787年から新庭園を造らせ、園内の大理石宮殿は1793年に完成した。19世紀にはペーター・ヨーゼフ・レンネが庭園群を一つの景観にまとめてベルリン側のクジャク島やグリーニッケ宮殿まで見通しが通るようにし、カール・フリードリヒ・シンケルもここで建物を手がけた。最後の宮殿ツェツィーリエンホーフは1914〜1917年に建てられ、1945年7月17日〜8月2日にはポツダム会談の会場となった。

戦後、ポツダムと西ベルリンの間にはベルリンの壁が通り、国境の防御施設のためにいくつかの史跡が壊された。宮殿と庭園群は1990年に世界遺産に登録され、1992年と1999年に範囲が広げられて今は2064haに及ぶ。ドイツ再統一の後、フリードリヒ大王の遺骸はサンスーシに改葬され、自ら造った庭園を見下ろす墓に眠っている。

ここに来た旅人

  1. 1873-03

    3月27日、新宮殿、サンスーシ宮殿と絵画館、プフィングストベルクのベルヴェデーレ、大理石宮殿、バーベルスベルク宮殿を回った。

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