レーロースの鉱山街とその周辺
Røros Mining Town and the Circumference
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時間の物差し
前3000年起点 1644年現在
成り立ち
レーロース一帯は、南サーミの人々がトナカイの放牧に使ってきた土地である。1644年、コングスベルグ鉱山の総監督が近くの山の銅鉱脈の採掘を許可し、レーロース銅山が始まった。1646年、デンマーク=ノルウェー王室は鉱山会社に特権を与え、町を囲む円形の区域(サーカムフェレンス)の森や水を使う権利を認めた。農民は輸送や木炭作りの労役を負った。
町は1679年にスウェーデン軍に焼かれたが、その後すべて建て直された。1718年の大北方戦争では、ド・ラ・バール将軍が率いるスウェーデン軍が再び町を占領し、銅を奪った。撤退する途中、3000人を超える兵士が山中の厳しい寒さで命を落とした。黒ずんだ木の外壁を残す1、2階建ての家並みが、今も町の姿を形づくっている。
1870年からはダイナマイトが使われ、1877年には鉄道ローロス線が開通した。銅山は333年間掘り続けられ、1977年に閉山した。20世紀初め、作家ヨハン・ファルクベルゲットが鉱夫たちの暮らしを描き、町の名を国内に広めた。1980年に世界遺産に登録され、現在はフェムンツヒッタの製錬所跡と冬の輸送路も資産に含まれる。
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