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アルジェのカスバ

Casbah of Algiers
WHC 5651992年登録36.78°N 3.06°EWikipedia 44言語

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成り立ち

アルジェの沖の小島には古代にフェニキアの交易所が置かれ、のちにローマの町イコシウムとなった。10世紀、ズィール朝のブルッギーン・イブン・ズィーリーがその跡に町を築き、アラビア語で「島々」を意味するアル・ジャザーイルと名づけた。

16世紀、スペインが港の前の小島を押さえると、町の指導者は海賊アルージ・バルバロッサを呼び寄せた。1529年、アルージの弟ハイレッディン・バルバロッサがスペイン人を小島から追い出し、町はアルジェ摂政領の都となった。丘の上の城塞は1516年から1592年にかけて築かれ、16世紀末の城壁の内側にモスクや宮殿、浴場、市場がひしめく旧市街が形づくられた。

1830年にフランス軍がアルジェに入り、下町の大部分を取り壊した。アルジェリア戦争中、カスバは独立派FLNの拠点となった。今も約5万人が暮らすカスバは、1992年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。