ベラトとジロカストラの歴史地区群
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成り立ち
アルバニア中部のベラトでは、地元でカラと呼ばれる城の起源が紀元前4世紀にさかのぼる。古代にはアンティパトレイアと呼ばれたとされ、ローマの歴史家リウィウスによれば、紀元前200年にローマの副官ルキウス・アプスティウスが町を攻め落とし、城壁を壊して焼き払った。現在の城の大部分は13世紀に築かれ、城内には主に13世紀のビザンティン様式の教会が多く残る。16世紀の画家オヌフリの作品も、城内の教会に伝わっている。
1417年にオスマン帝国の時代が始まると、ベラトにはモスクが建てられた。南部のドリノ川の谷にあるジロカストラは、1336年に「銀の城」を意味するアルギロカストロンの名で記録に現れ、1418年にオスマン帝国の支配下に入った。17世紀には石造の邸宅が建ち並ぶようになり、1670年に訪れた旅行家エヴリヤ・チェレビは家が約2000軒、モスク8、教会3、店舗280があったと記している。
共産主義政権の時代、両市は近代化の建設計画から外されて「博物館都市」とされ、ベラトは1961年6月にその地位を得た。ジロカストラは1988年に初めて推薦されたが、新しい建物が景観を損ねていると指摘され、登録は2005年となった。2008年にベラトが加えられた。ジロカストラは作家イスマイル・カダレの生地で、彼は『石の年代記』でこの町を描いた。
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