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ブトリント

Butrint
定番WHC 5701992年登録39.76°N 20.02°EWikipedia 62言語

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成り立ち

アルバニア南部のブトリントは、ローマの詩人ウェルギリウスがトロイア王プリアモスの子ヘレノスの築いた町として描いた場所である。人が住んだ跡は前10世紀から前8世紀にさかのぼる。前4世紀までに劇場、アスクレピオスの聖域、広場が整い、前380年頃には長さ870mの外壁が町を囲んだ。

前44年、カエサルはここをポンペイウスと戦った退役兵の植民市に定め、前31年のアクティウムの海戦の後、アウグストゥスがその計画を進めた。町は2倍に広がり、水道、浴場、広場ができた。6世紀には司教座が置かれ、大きなモザイクの床をもつ洗礼堂が建てられた。

中世以降、ブトリントはアンジュー家、ヴェネツィア、オスマン帝国の間を移り変わった。1928年から1943年にはルイジ・マリア・ウゴリーニが率いるイタリアの調査隊が発掘した。1992年に世界遺産に登録され、1997年から2005年には危機遺産とされた。2000年に国立公園となった。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。