サマルカンド─文化交差路
Samarkand – Crossroad of Cultures
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 前700年現在
成り立ち
サマルカンドはザラフシャン川の大きなオアシスにあり、前7世紀ごろに今のアフラシアブの丘で町が始まった。前329年、アレクサンドロス大王がギリシア人の呼ぶマラカンダを征服した。町はソグド人の文明の中心となり、アケメネス朝の時代にはソグディアナ州の都だった。
710年ごろ、クタイバ・イブン・ムスリムの率いるウマイヤ朝軍が町を奪った。1220年、チンギス・ハンのモンゴル軍が町を大きく壊し、アフラシアブは廃墟となった。1370年、ティムールがサマルカンドを都とし、南に新しい町が広がった。
ウルグ・ベクは1417-1420年にマドラサを建て、それがレギスタン広場の最初の建物となった。1428年には天文台を築いた。1868年、コンスタンチン・フォン・カウフマン大佐のロシア軍が城塞を占領し、西側にヨーロッパ風の新市街ができた。2001年、古代、ティムール朝、ロシア時代の3つの区域を含む1123haが世界遺産となった。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。