チェスキー・クルムロフ歴史地区
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成り立ち
チェスキー・クルムロフはヴルタヴァ川が大きく曲がる場所にある南ボヘミアの町で、東西の古い交易路が川を渡る地点に生まれた。最初の記録は1253年の文書で、南ボヘミアを治めたヴィートコフ家の一員の城がここにあったと記す。町は城の下のラトラーンと、川の対岸の蛇行部に広場を中心に築かれた旧市街の二つから成る。
1302年にヴィートコフ家のこの系統が絶えると、国王ヴァーツラフ2世は領地をロジュンベルク家に与え、一族はのちにここを本拠とした。1555年、ヴィレーム・ズ・ロジュンベルカはそれまで別々だったラトラーンと旧市街を一つの町にまとめ、16世紀後半には城をルネサンス様式に改めた。1602年に弟ペトル・ヴォクが町を皇帝ルドルフ2世に売り、1620年の白山の戦いの後、皇帝フェルディナント2世はエッゲンベルク家に与えた。18世紀にはシュヴァルツェンベルク家の所領となり、1947年まで続いた。
1910年の住民の85%はドイツ人だったが、第二次世界大戦後にドイツ系の住民は追放された。共産党政権の時代に町は荒れたが、1963年に歴史保護区に指定され、1970年から修復の大計画が始まった。保護区は46haで315棟の建物を含む。1992年に世界遺産に登録され、2002年にはヨーロッパ大洪水で被害を受けた。
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