写真: 「ES Joya Ceren 05 2012 Estructura 9 Area 2 Tamazcal wide angle 1479」Mariordo (Mario Roberto Duran Ortiz) / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
ホヤ・デ・セレン
Joya de Cerén
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成り立ち
1976年、エルサルバドルのサポティタン谷で穀物倉庫を建てる工事中、ブルドーザーが土でできた建物を掘り当てた。これがホヤ・デ・セレンである。1978年と1980年にはアメリカ・コロラド大学の人類学者ペイソン・シーツが調査した。
西暦600年ごろ、近くのロマ・カルデラ火山が噴火し、村は数時間のうちに厚い火山灰に埋まった。灰が低温で一気に降り積もったため、道具や器、寝るためのむしろ、トウモロコシ畑、薬草の庭、豆の入った壺までが使われていた場所に残った。新大陸の遺跡で最も古いキャッサバ畑もここで見つかった。人の遺体は見つかっておらず、住民は逃げることができたと考えられている。
これまでに18の建物が確認され、そのうち10が発掘された。集会用の大きな建物、住居、倉庫、台所、蒸し風呂、祭りや呪術師のための建物がある。マヤ研究の多くは王や貴族を扱うが、ここはふつうの農民の毎日の暮らしを伝える。「アメリカ大陸のポンペイ」とも呼ばれ、1993年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。