ロスキレ大聖堂
Roskilde Cathedral
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時間の物差し
前3000年起点 960年現在
成り立ち
960年ごろ、デンマーク王ハーラル青歯王はロスキレを新しい都とし、王の農場のそばに聖三位一体にささげた小さな木造の教会を建てた。985年か986年に没した王はこの教会に葬られたが、墓も遺骨も見つかっていない。1026年のクリスマスにウルフ伯が殺されると、クヌート大王の姉妹である未亡人エストリズは賠償金を求め、それで石造の聖堂が建てられた。1060年から1073年の間には、司教ヴィルヘルムがトラバーチンの大聖堂に着手した。
1157年に司教となったアブサロンはこの大聖堂の拡張を始め、1160年にイタリアからデンマークに伝わったばかりの煉瓦を使った。続く司教ペーダー・スーネセンは設計をフランスのゴシック様式に改めた。内陣は1225年に完成し、本体は1280年までに、西の塔は1405年に仕上がった。スカンディナヴィアで最初の煉瓦造のゴシック大聖堂であり、その様式は北ヨーロッパに広まった。
1412年に没したマルグレーテ1世は、まずソーレに葬られ、翌年ロスキレに移された。1536年の宗教改革の後は、ほぼすべてのデンマーク王と王妃がここに眠る。クリスチャン4世は1613年に自らの礼拝堂を命じ、1633年には双塔の尖塔を寄進した。1658年2月26日には、この大聖堂でロスキレ条約が結ばれた。1995年に世界遺産に登録された。
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