ルクセンブルク : その古い街並みと要塞群
City of Luxembourg: its Old Quarters and Fortifications
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時間の物差し
前3000年起点 963年現在
成り立ち
ルクセンブルクは二つのローマ街道が交わる場所にある。963年、モーゼル川流域の伯ジークフリートが、トリーアの聖マクシミン修道院との交換で手に入れたボックの岩山に城を築き、その周りに家来や兵士が住みついて町が生まれた。12世紀末に2本目の市壁、15世紀に3本目の市壁が築かれ、下町グルントも囲まれた。
16世紀になると、この要塞はヨーロッパの列強が奪い合う的となり、ブルゴーニュ家、ハプスブルク家、フランスとスペインの王、神聖ローマ皇帝の手を渡った。スペインは1671〜84年に新しい堡塁を築き、1684年に包囲で町を落としたフランスは1684〜97年にヴォーバンの指揮で要塞を大きく作り直した。1715年からはオーストリアが地下通路でつながる砲台群を広げ、町は「北のジブラルタル」と呼ばれた。
1815年からはドイツ連邦の要塞としてプロイセン軍が駐留したが、1867年のロンドン条約で大公国の永世中立が定められ、要塞は取り壊されることになった。地下の防御施設24km以上などの撤去には16年かかったが、28の門のうち12や、1100平方mにおよぶボックの地下砲台などが残る。1994年に世界遺産に登録された。
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