避暑山荘
Chengde Mountain Resort and its outlying temples
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1703年現在
成り立ち
河北省承徳の避暑山荘は、清の皇帝の夏の離宮である。1703年から1792年まで89年をかけて造られ、宮殿、役所や儀礼の建物、庭園が湖と草原と森の中に配された。南部の宮殿区は北京の紫禁城に似せて造られた。
康熙帝や乾隆帝は毎年夏と秋をここで過ごし、軍事と政治を執り、少数民族の首長や外国の使節を迎え、木蘭囲場の秋の狩りへ出発した。庭には康熙帝と乾隆帝が名づけた72の景があり、湖のほとりの煙雨楼は浙江省嘉興の南湖の楼を写したものである。
周りの東と北の丘には12の寺院が建てられ、漢、モンゴル、チベットの建築様式を合わせている。寺院は少数民族との関係を築く役割を担った。避暑山荘と外八廟は1994年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。