写真: 「Historic Centre of Siena-112711」Francesco Bandarin / CC BY-SA 3.0 igo / Wikimedia Commons · トリミングあり
シエーナ歴史地区
Historic Centre of Siena
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成り立ち
シエーナにはエトルリア人の時代に人が住み始め、アウグストゥス帝の時代にローマの町サエナ・ユリアが置かれた。町はカンポ広場を囲んで築かれた。12世紀にはシエーナ共和国が成立し、羊毛と銀行の町として栄えた。
12世紀から15世紀にかけて町はゴシックの姿をとり、ドゥッチョ、ロレンツェッティ兄弟、シモーネ・マルティーニがイタリアとヨーロッパの美術の流れを変えた。1330年代にはアンブロージョ・ロレンツェッティが市庁舎の九人の間に「善政と悪政の寓意」を描いた。1348年の黒死病の前には5万人が住んでいたが、人口のほぼ半分が亡くなり、大聖堂の工事は未完のまま止まった。
フィレンツェとの長い対立の末、シエーナは18か月の抵抗ののち1555年4月17日に降伏し、共和国は終わった。メディチ家は1560年に西のサンタ・バルバラ要塞を建て直し、1580年に完成させた。長さ7kmの城壁は今も歴史地区を囲んでいる。1966年にはヨーロッパで初めて中心の広場から車を締め出し、歴史地区は1995年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。